桐山エツコ Official WEB

■ About KIRIYAMA  ETSUKO ■

-作家活動のきっかけ-

 
なぜ水彩画で描き始めたかというと、最初は自分でキリムを織ってみようと思い、方眼用紙に組織図を起こしたことがきっかけでした。
 
ハガキ大にひとつの文様を展開している内に、色を付けたくなり、色鉛筆で彩色してみました。
 
気に入った出来上がりでしたので、織る前にしばらく見ていようと、手元にあった写真立てに入れて飾ってみました。
 
そして数日、カウンターキッチンに置いて眺めている内に、何か違うと違和感を持ち、そうだ、ゆがんでいないから、キリムらしくないんだと気がつきました。
 
それならばそのまま写して描いて、色も水彩で濃くしたらキリムらしくなるかしらと、いつのまにか最初の意図と方向が変わり、それが長年にわたって、キリムを水彩画で描く始まりとなるのでした。
 


 

-作品作りにおける思い-

 
他の手仕事と同様に、キリムは時代と共にあり、近代化や紛争により形を変えていくことになります。
技術を伝承しようと復興して織られるキリム、工房で織られるゆがみの少ないキリム、それらを含めて全て愛おしいキリムだと私は思っています。
時代をそのまま映す手仕事を見つめ、また失われていく手仕事を思い、大事なキリムを私なりに咀嚼して残していけたらと考えています。
 
願いが込められた文様は、共感を呼び起こす呼び水となり、それを日常のティーカップや版画にして身近に置くことで、私たちの願いも重ねられ、楽しさが生活の中に「キリム」を残していく一因となれたら素敵です。
 
 
子育てに追われなかなかキリムを買えなくて、洋書を見ながら描いたキリムに喜んでいた日本人の私と、織り上げたキリムを見てやはりうれしかったであろう彼の地の彼女たちと、時を超えて同じ気もちが重なるような気がするのです。
 


-Biography-

 
桐山エツコ
 
日本大学芸術学部油画卒業。
東京テキスタイルスクール基礎科タピストリー科修了。
よみうり文化センターチャイナペインティング講座修了。
 
「織工房キブラ」を10年間主宰。
全国裂織協会展出展。
 
油画、キリム水彩画、キリム絵付けカップ個展、織工房作品展など、個展グループ展を多数開催。
 


- 新聞掲載-

※本名・住所が記載されている箇所は
伏せさせていただいております。

 
 
2001.9.15
2001911日、キリムの水彩画を描き始めて10年が過ぎた頃、アメリカのツィンタワーに飛行機が飛び込むテロが起きました。
 
夜テレビをつけていた時にニュースが突然入り、煙が出ているビルを見て驚いている最中、目の前で2機目が突入したのです。
 
翌日の深夜、夢中でパソコンに向かって投稿を書いた記憶が鮮明にあります。

 
2021.8.26
織工房を開催している時は忙しくて、なかなか水彩画を描けない日々が続きました。
それでもキリムが好きで、やはり描きたいと再開し数年経った時、アフガニスタンからアメリカが撤退しました。
 
その混乱の中、まだ幼さの残るタリバンの兵士がインタビューを受けて、「田舎に戻ったら、結婚して畑を栽培しながら家族を守りたい」とはにかみながら答えている姿が印象的でした。
 
黒の宝石と呼ばれているアフガニスタンのキリム。
このキリムを生み出してくれたアフガニスタンの人々に、平安が訪れる事を願って止みません。

2001.9.15
2001911日、キリムの水彩画を描き始めて10年が過ぎた頃、アメリカのツィンタワーに飛行機が飛び込むテロが起きました。
 
夜テレビをつけていた時にニュースが突然入り、煙が出ているビルを見て驚いている最中、目の前で2機目が突入したのです。
 
翌日の深夜、夢中でパソコンに向かって投稿を書いた記憶が鮮明にあります。

2021.8.26
織工房を開催している時は忙しくて、なかなか水彩画を描けない日々が続きました。
それでもキリムが好きで、やはり描きたいと再開し数年経った時、アフガニスタンからアメリカが撤退しました。
 
その混乱の中、まだ幼さの残るタリバンの兵士がインタビューを受けて、「田舎に戻ったら、結婚して畑を栽培しながら家族を守りたい」とはにかみながら答えている姿が印象的でした。
 
黒の宝石と呼ばれているアフガニスタンのキリム。
このキリムを生み出してくれたアフガニスタンの人々に、平安が訪れる事を願って止みません。